親の責任

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 親になって考えることがある。自分の子供の成長と、それに伴う親の責任だ。
 私としては、子供のした事に対する責任は親にあると思う。もちろんそれは「必ず親が責任を取る。子供に責任はない」という訳ではないが、どんなことであっても親の責任はゼロではない、そう思うのだ。

 子供が何か悪いことをした時、多くの親は「うちの子に限って」と思うだろう。私もきっと思うに違いない。けれどそれは親の主観であって、「だから悪くない」という訳ではない。さらに言えば子供が何かをする、その事には親の教育(というかしつけ)が大きく影響する。「きちんと教えたのに子供がそれを守れなかった」、それは言い訳であり、子供が守れなかったということは教えていなかったと同義である。

 子供が保育園で怪我をする。転んで鼻の頭をすりむいたり、他の子と物を取り合ってひっかかれたり。保育士さんはその度に「すみませんでした」と、私からしてみれば過剰なまでに恐縮して誤る。おそらく「うちの子が怪我をしていた!」と文句を言う親がいるのだろう。
 けれど私から言わせれば、病院に行くような怪我でなければいちいち報告しなくてもいいし、そういう怪我を通じて「こういう事をすると(されると)痛い」という事を学んでくれればそれでいいのだ。
 自分の子供を大切にするのは必要だが、その結果として「失敗」から遠ざけてしまっては、将来いざという局面でかえって大きな失敗をしてしまうことにもなりかねない。

 そして親の責任は成人やあるいは結婚を経ても変わらず存在すると思う。親が80歳、子供が50歳としよう。子供が犯罪を犯したら、いい大人なのだから子供が責任を取るのは当然のことだ。しかし「50にもなって犯罪を犯す」ということは、どこかで子育てを間違えたのではないだろうか。大人になってから悪い影響を周囲から受けたという見方もあるが、周囲の悪い影響を受け入れないような人間に育てられなかった責任があるのではないだろうか。
 そう考えれば親になるという事は並大抵のことではないように思えるが、要は人間が人間らしく子育てをすればいいだけのことである。何千年もやってきた事なのだから。

 余談だが、自分の子供の見本になるような親にならなければ思うと、電車等公共の場所での大人(40~50代が顕著)のマナーの悪さには目を覆うばかりである。最近の若い者は、と何かにつけて大人は言うが、要するに若い者は大人のやることを見ているだけの事である。
 電車に限って言えば、手すりつり革につかまらないで目を閉じる、つめればもう1人座れるのにどっかと腰をおろしてそれっきり、優先席に座ってメール、席に座って隣にもたれかかっての爆睡、夜の電車での缶ビール、等々。
 子供の未来、そして日本の未来のために、何とかして欲しいところである。

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