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2006年03月30日

誰のせいか

 友人のBlog「酒呑みの自己弁護」に、「子供達」と題した興味深い記事が載っていた。

 私は息子(2歳)と同い年の子供としかほとんど交流がないので直接は知らないが、どうも様々な話を聞く限りでは昨今の子供はあまりよろしくない(頭が悪いと言う意味ではなく)ようだ。
 友人のBlogからも苦悩している様子が良く分かる。
 その原因が様々に言われているが、何故かあまり取りざたされないものに「親」がある。私はこれが原因の8割以上を占めていると思うのだが、「学校」「テレビ」「ゲーム」等が主因とされる事が多く、「大人たち」に言及されたとしても「親」まではほとんど踏み込まない。
 友人のBlog記事の中から、親の責任ではないのかと思われる部分だけ検証(というか、自説の主張)してみたい。

 「叱るとすぐふてくされる」のは、叱られ慣れていないから。
 個性尊重という名目の下、本来ならば叱らないといけないはずの場面(電車内で騒ぐ、等)で親が叱れない。その弊害だろう。親が叱れないのは、親が「叱るべき場面だ」と認識していない可能性も高い。むしろそちらの方が大問題である。

 「気に入らないことがあるとすねる」のは、親が子供のご機嫌伺いをしてしまうから。
 子供は理屈が通じないから、例えば「ジュースが欲しい」と駄々をこねられた時にいかに理を尽くして説明したとしても納得しない。親には親の都合もあるから、何とか早くこの場を収めたい。そうなると「ジュースを買い与えて収まるのなら」となってしまう。
 私の考えだが、テーブルの上のものを床に落としてしまった時、「ダメでしょう!」と言いながら親が拾うのは×。まず子供に拾わせた上で「ごめんなさい」を言わせたないと、次に同じ局面に遭遇した時にまた同じ事(「ダメでしょう!」と言いながら親が拾う)を繰り返さなければならない。これではいつまで経っても子供が成長しない。

 「子供のほうが悪い場合でもなかなか謝らない」のは、上記にも通じるが親がきちんと叱れていないから。
 子育てをして分かったが、子供が親の言う事に納得して「ごめんなさい」を言う事など、ほとんど期待できない。しかしそれにめげて「ごめんなさいを言わせる」事を放棄してしまうと、極端な言い方だが未来永劫「ごめんなさい」が言えない人間になってしまうと思う。
 誰もが、やろうと思って失敗はしない。やろうと思って悪いことはしない(悪いと認識できていない場合はあるが)。やろうと思って失敗した訳でも悪い事をした訳でもないのに、「謝る」事を強制されるのは子供にとっては理不尽だ。しかしそれが社会であるし、それを通じて自分がしたことの意味を考えるようになり、次に繰り返さない為の貴重な経験となる。
 そのためにも、家庭で親が子供にしっかりと「ごめんなさい」を言わせる事は重要だ。

 子供にとって、親が身近に感じられる事は確かに重要だろう。しかし時には子供を勘当する事すら覚悟してでも言わなければならない事があるはずだ。最近の親は「親しみを持ってもらう為に怒らない」という小手先の技に頼っている気がする。
 そして「親」という人生で最初にぶつかるであろう壁を失い、打たれ弱くなった結果として、友人の言うところの「人間として異常にひ弱」になったのだと思う。困った事に親にその自覚はなく、友人は「彼らの将来が少し不安である」と言っている訳だが、親は「だから庇護しなければならない」となり、必要以上にしゃしゃり出るようになる。子供のケンカに親が出てくる、「好き嫌いも個性だから給食を残さず食べるように強制しないで欲しい」と学校に訴える、子供の意見を丸呑みして学校に「担任を変えて欲しい」と訴える、等々。
 子供を守るために親に出来る事は多々ある。むろん学校に対して文句を言う必要がある場合もあるだろうし、子供のために他の子供を叱ったり親に対して怒鳴り込む必要だって時にはあるだろう。
 けれどそんなある意味「過保護」な親ほど、「子供自身に耐性をつける」、つまり「打たれ強い子供に育てる」という発想が欠如しているように思えてならない。

 私事だが、私にとって親とは「絶対の存在」であり、親が「NO」と言えば全世界が「YES」と言ったとしても「NO」であり、「不満」をぶつける事は出来ても「異論」は認められない、そんな存在であった。それが良いか悪いかはまた別問題だが、1つの極端な例としてそういう子育てもあるのだ。
 そういう家庭教育を受けた自分としては、中学・高校・大学時代を通じて抱え込んだ鬱屈した思いを子供にはして欲しくないが、自分が「良くない」と感じた事を感じさせないように工夫しつつ、それでもやはり自分が受けた家庭教育をしっかり子供にも受けさせるつもりである。

 なお、ここでは主要因であると自分が考える「親」についてのみ言及したが、もちろん「学校」その他にも責任があることは確かである。
 ただ、人間はどうしても易きに流れる。家庭が居心地のいい「怒られない」場所になってしまっていると、外部の人間がいくら言ったところで「でも家ではそうじゃない」「お父さんやお母さんはそんな事は言わない」となってしまい、その子を良い方向へ導くのは困難である。
 昨今「学校」に対する批判が多いが、「教師の能力」を超えた「言う事を聞かない子供」が多い状況では、教師に出来る事にも限界がある事を考慮する必要があると思う。


 それにしても友人のBlogがトラックバックを受け付けない設定になっているのは、やはりトラックバックスパムがひどいのだろうか。うちは幸いな事にあまりそういう害に遭っていないのだが。

2006年03月30日 11:18

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