お悔やみ - 廣瀬量平先生死去

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 合唱、特に混声合唱経験者には馴染みの深い、作曲家の廣瀬量平先生が24日に亡くなられた。

 訃報:廣瀬量平さん78歳=作曲家、京都市立芸大名誉教授 - 毎日jp(毎日新聞)

 高校以来合唱を続けている私にとって、廣瀬先生は浅からぬ縁のある方だ。

 私と廣瀬先生の出会いは高校1年の時。
 選択科目で「音楽」を選択した私は、教科書として購入した「新選 混声合唱名曲集 1」に載っていた「エトピリカ」という曲に目を奪われた。
 楽譜を見た事がある人は分かると思うが前奏のピアノが非常に特徴的で、楽譜を読めない私としては「これは演奏したらどんな風になるんだろう」と興味津々だったのだ。

 そして9月末の文化祭後に合唱部の指揮者になり、年が明け、文化祭で演奏する曲を決めるに際して今度は廣瀬先生の「混声合唱組曲 海の詩」に心惹かれた。
 しかしこれまた楽譜を見た事がある人は分かると思うのだが、2曲目の「シーラカンス」が人間業とは思えず、それさえなければ間違いなく即決だったのに断念。(ちなみに最終的に「水のいのち」に決まった。それはそれで私の合唱人生で非常に重要な意味を持ったのだが)
 なお文化祭ではかの「エトピリカ」を歌う事ができ、前奏部も堪能する事ができた。

 そして大学3年の時にたまたま朝日の合唱コンクールに出る事になったのだが、その年の男声合唱の課題曲に「この盃を(「中国古詩による五つの歌」から)」が入っていたのを覚えている。所属していたのは混声合唱団だったので関係はなかったのだが、廣瀬先生の曲という事で印象に残ったのだと思う。

 大学4年の時には後任の学生指揮者のステージが「海鳥の詩」だったので、高校時代に歌った「エトピリカ」以外の曲も歌う機会に恵まれた。

 Wikipediaの記事を見る限り合唱の比重は多くなかったようだが、CDも出ている「海の詩」「海鳥の詩」の2つだけで廣瀬先生の名前は合唱界に永遠に残る事だろう。

 謹んで廣瀬先生のご冥福をお祈りしたい。


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