朝青龍の引退に思う

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 先日、大相撲の横綱朝青龍が引退を発表した。
 メディアの報道を見る限りでは「良かった」と言う人が「残念」と言う人を上回っているような印象を受ける。(が、実はメディアの情報操作という可能性を否定できないので印象の話は置いておく)

 私の思いは「残念」
 確かに土俵外での騒ぎがいろいろあった事は事実だし、結果的には「自己責任」という話だとも思う。
 しかしそれを差し引いても、朝青龍は時代に恵まれ、また逆に時代に恵まれなかった、大相撲界にとってとても難しい時代を駆け抜けた人だったのではないかと思わずにはいられないのだ。

<時代に恵まれた朝青龍>
 「時代に恵まれた」と言える最大の理由は、ライバルがほとんどいなかった事である。
 晩期こそ「白鵬」というライバルがいたものの、2007年にその白鵬が横綱に昇進するまでの4年間を「一人横綱」として君臨し、数々の記録を打ち立てた。
 横綱が一人しかいないという状況もさることながら、横綱、あるいは大関を伺うような新進気鋭の関取がいなかったというのは、時代に恵まれたと言えるだろう。

<時代に恵まれなかった朝青龍>
 前述の「時代に恵まれた」の裏返しが、まさに「時代に恵まれなかった」の理由である。
 もし貴乃花や曙といった横綱たちが君臨していた時代だったとしたら、ここまで活躍できたかどうかは分からない。 あるいは昇進に時間がかかり、その間に相撲界の様々な事を学んで、もっと品格が磨かれた可能性もあるという意味では「時代に恵まれなかった」と言えるだろう。
(この辺りは、相撲に精通しているデーモン小暮閣下のBlogでも書かれていた)

 「一人横綱」というのも、何かと注目を集めてしまうという意味では朝青龍にマイナスだったと思う。
 もちろん「李下に冠を正さず」という言葉の通り、「やましいことは何もしなければよい」という見方も出来ない事はないが、人間が聖人君子になるのは並大抵の事ではない。
 ごく一般的な人であれば、些細な出来事からいろいろ学んで大きな問題を起こさなければそれで良いと思うのだが、朝青龍の場合は「些細な事ですら注目を集めてしまった」とも言え、それが結果的には良くない方へ作用してしまったように思える。


 最後に念のため繰り返しておくと、最終的には「自分の行いが招いた事」であり、そこに擁護の余地はない。残念ではあるが、問題行為だけ切り出せば引退も仕方ない事だと思う。

 ただ、そこに至るレールはいつ敷かれたのか。
 レールなどなく、朝青龍が勝手に暴走してそこへ行き着いた、という見方はやや視野が狭いのではないだろうか。
 朝青龍が一人横綱を黙々と4年間も務めた後に、その功労に対しての肯定的評価をする事なく「白鵬=正、朝青龍=邪」という構図を用意したのは(そしてそれを支持したのは)誰だったのか。

 そこに対して若干の引っかかりを感じた今回の出来事だった。

 朝青龍、お疲れ様。
 若・貴・曙が去った後の土俵を、白鵬・琴欧洲・日馬富士らの台頭まで守ってくれた事に感謝申し上げたい。

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