2010年2月アーカイブ

 知り合いが団員、という関係で立正大学グリークラブの第45回定期演奏会へ行って来た。

 立正大学グリークラブは、私の記憶が確かならフォイエル(私の出身大学合唱団)がコンクールに出た平成10年(1998年)の段階ではまだコンクールに出始めた頃。その時は銀賞だった。(ちなみにフォイエルは銅賞)
 私は指揮者として参加して立正大学グリークラブの演奏も聴いたが、正直「これで銀なのであれば、もし私が来年も指揮をさせてもらえるなら銀は取れる」と思ったのを覚えている。(もちろん翌年は4年生であり、自分が指揮をするという可能性は皆無だったのだが)

参考: 立正大学グリークラブの朝日コンクール履歴その2:合唱道楽 歌い人:So-netブログ


 その後、何がどうなったのか分からない(と言うと失礼で、努力したからに違いない)が、気がついた時には全国大会の常連(※)になっており、「へー、あの銀賞だった(翌年には抜けると思った)団体がねぇ」としみじみ思ったものである。
 ちなみにフォイエルはコンクールに参加した経験から「コンクールはフォイエルが目指すべきものではない」という認識が得られたので、翌年以降は参加していない。

※ 参考
立正大学グリークラブの朝日コンクール履歴:合唱道楽 歌い人:So-netブログ


 そんな立正大学グリークラブの人とお知り合いになったきっかけは、2008年末にmixiの「合唱コミュ」で「三つの不思議な物語」の楽譜の共同購入を取りまとめた事。
 たまたま立正大学グリークラブの団員さんが共同購入に参加しており、たまたま家が比較的近かったのでお金と楽譜の受け渡しを「手渡し」で行ったからである。

 それを機にお知り合いになり、Twitterアカウントをフォローし、その後お会いする機会こそなかったもののそれなりに活発な交流をさせていただいていたところ、定期演奏会にお誘いいただいた、という流れである。

 13日はフォイエルの追いコンで、現役のいろいろな悩み事相談に乗ったりしていたらうっかり朝になってしまって帰宅したのが7時。しかも周囲がうるさかったので声を張り上げて話していたら、声がほとんどでなくなるという体たらく。
 とりあえず寝て、12時半頃起床。(途中9時頃にトイレに起きたが)

 朝昼兼用の食事をし、子供が「連れて行ってー」と泣き叫ぶのを置き去りにして家を出る。(私は連れて行ってもいいかなとちらっと思ったのだが、妻の猛反対(子供の体調が微妙なので)で断念。ま、当然と言えば当然)

 最寄り駅前のジャスコでプレゼント用のお菓子を購入し、ついでに袋入りののど飴を購入して、いざ参宮橋にある国立オリンピック記念青少年総合センターの大ホールへ。
 ここの小ホールは練習で何度か使った事があるのだが、考えてみれば大ホールは初めて。
 何となくの印象は川口リリアの小ホールに似ていた。(もう少し左右の幅があるけど)

 フォイエル以外の大学合唱団の演奏を聴くのも本当に久しぶり。もしかしたら大学卒業後初めてかもしれない。


 演奏そのものは、うーん、あまり響いてくるものがなかった気がする。
 確かに上手い気はする。だが技術的なもの以外の何かが伝わってこなかった。どの歌を歌っていても、あまり変化を感じない、と言えばいいだろうか。
 コンクールと定期演奏会はもちろん別物なので、もしかしたらその辺のモチベーション差があったのかもしれない。

 指揮者の1人は元団員で現在は大学職員らしい。私ももしかして母校の職員になっていたら、今でもフォイエルを指揮する機会があったりしたのだろうか?(笑)
 ただこの人、確かに指揮の技術はそこそこあるように見えるし、練習中にはすばらしい事を言っているのかもしれないが、演奏会の舞台の上で完全に「自分の世界」の中で指揮をしている印象だった。
 大きく振る時も、小さく振る時も、その指揮の先にあるのは「自分の中に流れる音楽」だったように思えてならない。全体の6~7割は譜面台の楽譜に目が行っていて、団員の方を向いていなかったし、どうも指揮者と歌い手との間で音楽面での意思の疎通が出来ていないように見えた。

 客演指揮者の人は、そういう意味ではきちんと意思の疎通が出来ていたと思う。
 指揮そのものには若干「もう少しこうした方が良いのでは」と思わない事もなかったが、そこは個性の違いというか、私がやりたい指揮が常に正しいという訳ではないので気にしない事にする。
 でも「"両手で右回りにぐるんぐるん回す"のが好きな人だなぁ」という印象は受けた。意図は分かるし、そうやっている時の指揮者の気持ちや手応えも分かる気がするが、歌い手に対するアピール(指示)という意味ではあまり効率の良い方法ではないように思う。

 学生指揮者の女性は校歌の時にリズムに合わせて首(というか顎?)が微妙に上下動するのが気になったが、自分のステージは「良くも悪くも学生指揮者」という指揮だった。
 でも最低限のやる事はきちんとやっていたし、何より4ステージの中で一番団員が生き生きと歌っていたように思う。
 ディズニーの曲のステージだったのだが、Under the Seaの時の団員が客席側に下りてきてお菓子を配って歩いていたのが面白かった。(バレンタインデーだから?)
 「客席に手拍子を求める」というのは私もどこかでやってみたいと思いつつ、なかなか実現できていない。

 4ステージ目は「千原英喜(作曲家)」ステージで、コンクールの自由曲として歌った曲もあったのだが、「あー、こういう曲はパス」と思った。技術的にどうこうというより、歌詞とメロディーに惹かれなかったので。この曲をしっかり歌えるようになれば技術的にはかなり向上するんだろうな、とも思ったのだが。
 そうそう、昨年S.P.P.の男声で演奏した「ある真夜中に」の中の「寂庵の祈り」もあったので、懐かしかった。

 4ステージ全てが「いろいろな曲を集めてきた」ステージだったので、正直「立正大学グリークラブ」という合唱団の方向性というか得意とするところがいまいちよく分からなかった。できれば来年は「混声合唱組曲」をやって欲しい。
 あ、そうそう、作曲家の千原英喜さん本人が来場していて、本人作曲のアンコール曲を自分で振っていたのだが、「あー、作曲家の指揮だね」という感じだった。別にいいんだけど。


 終演後にロビーで演奏を追えた知り合いと軽く立ち話。
 私の声もひどいものだったし、レセプションの時間も迫っていたし、何より周りに団員がうろうろしているのであまり込み入った話は出来なかったのだが、1年ちょっと振りにお会いできて良かった。またぜひ別な機会にいろいろなお話しをしたいと思う。

 ちなみにのど飴は行き帰りで10個以上消費。
 明日は出先作業なので、声が戻っていてくれると良いのだが……。

 先日、大相撲の横綱朝青龍が引退を発表した。
 メディアの報道を見る限りでは「良かった」と言う人が「残念」と言う人を上回っているような印象を受ける。(が、実はメディアの情報操作という可能性を否定できないので印象の話は置いておく)

 私の思いは「残念」
 確かに土俵外での騒ぎがいろいろあった事は事実だし、結果的には「自己責任」という話だとも思う。
 しかしそれを差し引いても、朝青龍は時代に恵まれ、また逆に時代に恵まれなかった、大相撲界にとってとても難しい時代を駆け抜けた人だったのではないかと思わずにはいられないのだ。

<時代に恵まれた朝青龍>
 「時代に恵まれた」と言える最大の理由は、ライバルがほとんどいなかった事である。
 晩期こそ「白鵬」というライバルがいたものの、2007年にその白鵬が横綱に昇進するまでの4年間を「一人横綱」として君臨し、数々の記録を打ち立てた。
 横綱が一人しかいないという状況もさることながら、横綱、あるいは大関を伺うような新進気鋭の関取がいなかったというのは、時代に恵まれたと言えるだろう。

<時代に恵まれなかった朝青龍>
 前述の「時代に恵まれた」の裏返しが、まさに「時代に恵まれなかった」の理由である。
 もし貴乃花や曙といった横綱たちが君臨していた時代だったとしたら、ここまで活躍できたかどうかは分からない。 あるいは昇進に時間がかかり、その間に相撲界の様々な事を学んで、もっと品格が磨かれた可能性もあるという意味では「時代に恵まれなかった」と言えるだろう。
(この辺りは、相撲に精通しているデーモン小暮閣下のBlogでも書かれていた)

 「一人横綱」というのも、何かと注目を集めてしまうという意味では朝青龍にマイナスだったと思う。
 もちろん「李下に冠を正さず」という言葉の通り、「やましいことは何もしなければよい」という見方も出来ない事はないが、人間が聖人君子になるのは並大抵の事ではない。
 ごく一般的な人であれば、些細な出来事からいろいろ学んで大きな問題を起こさなければそれで良いと思うのだが、朝青龍の場合は「些細な事ですら注目を集めてしまった」とも言え、それが結果的には良くない方へ作用してしまったように思える。


 最後に念のため繰り返しておくと、最終的には「自分の行いが招いた事」であり、そこに擁護の余地はない。残念ではあるが、問題行為だけ切り出せば引退も仕方ない事だと思う。

 ただ、そこに至るレールはいつ敷かれたのか。
 レールなどなく、朝青龍が勝手に暴走してそこへ行き着いた、という見方はやや視野が狭いのではないだろうか。
 朝青龍が一人横綱を黙々と4年間も務めた後に、その功労に対しての肯定的評価をする事なく「白鵬=正、朝青龍=邪」という構図を用意したのは(そしてそれを支持したのは)誰だったのか。

 そこに対して若干の引っかかりを感じた今回の出来事だった。

 朝青龍、お疲れ様。
 若・貴・曙が去った後の土俵を、白鵬・琴欧洲・日馬富士らの台頭まで守ってくれた事に感謝申し上げたい。

OpenID対応しています OpenIDについて
Powered by Movable Type 5.12

最近のコメント

このアーカイブについて

このページには、2010年2月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2009年11月です。

次のアーカイブは2010年3月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。