2004年10月アーカイブ

 好奇心旺盛な我が息子。手にしたものは何であろうと口に運び、挙げ句の果てにはちゃぶ台までかじる始末。
 人がトイレに入っていると扉を開けようとする。開かないと泣く。仕方がないので、わざと少し開けておいてやると、うれしそうに開け閉めする。
 今日トイレで小さい方の用を足していたら、いつものごとく息子が扉を開けてにっこり微笑んだ。
 次の瞬間、水平方向へは等速直線運動、垂直方向へは等加速度運動をする小に手を伸ばす息子。
 叫ぶ私。聞きつけて同じく叫ぶ妻。手を口へ運ぼうとする息子。

 子育ては日々戦いである……。

 片づけをするのは嫌いではない。けれどそれは新しい家具の配置を考えて、片づけ後の部屋の様子を想像するところまで。
 細々としたものが非常に多い私の部屋は、家具を予定通りの配置に移動するだけで一苦労。細かいところが片づく前に、新しい配置を考えてしまうからたちが悪い。
 要するにものを持ちすぎているのだろうが、つい貧乏性で捨てられないのである。
 最近子供に荒らされるようになってきたので、そろそろ本気で片づけないと危うい気がする今日この頃。

 息子はピーマンが好きである。ピーマンが嫌いな子供は多いようだから、これは好ましいことだ。
 しかし、親の目を盗んで台所の隅からピーマンを取り出し、丸かじりするのはやめて欲しい……。今日も気づいた時にはピーマンに見事な穴が空いていた。

 ちなみににんじんは好きでないようだ。

 NHK教育でNHK音楽コンクールの様子が放送されていたので、高校の部を見てみた。
 私はそもそも合唱のコンクールというものにあまり好意的ではない。音楽という絶対的な判定基準のないものに優劣を付ける、という事に好感が持てないからである。
 それでも世の中には「努力するための目標」が欲しい人がおり、それは自分たちの活動が独りよがりにならないためにも大切な事なのかもしれない、とは思う。
 今日、1年ぶり(昨年も見ていた)にコンクールの様子を見ていて、高校生なのにとても難解な、私から見れば難しいものに取り組むという以外に面白みのない曲を自由曲として歌っていて、コンクールの弊害を感じた。技術力を誇示しないとコンクールで賞は取れないのだ。そして平易な曲では技術力が誇示できないのだ。
 私が高校生の時はコンクールに出るという発想自体がなく、10人強の小さな合唱部で、それでも切磋琢磨しながら文化祭での公演を第一の目標にして、日々楽しく厳しく練習していた。今はそれで本当に良かったと思う。
 大学の合唱団は同じくコンクールに縁がなかったが、3年で学生指揮者をしていた時、下級生の熱烈な「コンクール出たい熱」を無視できずにコンクールに出た。この時は出て賞を取ると言うより、次年度以降コンクールに出るのかどうかを決めるためのお試しという感覚だった。
 出場した朝日のコンクールは大学部門がわずかに5校と非常に少なく、そこに大学合唱団の「コンクールより自分たちの演奏会」という姿勢を見ることができる。そしてその中で、数が少なかったせいだろう、銅賞を取ることができた。
 その時の体験と、今日テレビを見て思ったのだが、それでも「賞を勝ち取る」という事を体験してみたかったような気がしないでもない。

 今日は1本まるまる食われる……。

メモ

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 息子よ、父が食べようとしていたバナナを半分も食べるのはやめてくれ。確かにちぎって渡さずにそのまま口にくわえさせた父も悪いが……

1年

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 早いもので、息子が1歳の誕生日を迎えた。
 思えば1年前の今日は友人たちと野球をする予定になっていたのだが、朝に連絡がきて急いで病院へ向かったのであった。
 あの時2702gだった息子はもう9kgを超え、家の中どころか外も立派に歩いている。まだ足取りは心許ないが、私と手をつないで歩けるのだ。
 過ぎてしまえばあっという間の1年。けれどいろいろなことがあった。そしてこれからもきっとたくさんのことがあるのだろう。
 息子がこれからも健やかに成長してくれることを切に願う。

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