ここ2ヶ月くらいの間に、チェックしているRSSフィードがぐっと増えた。
それまでは友人関係の他には「自分にとって役に立ち、かつ自分にとってレベルがちょうど良い」と思えるものしかチェックしていなかったのだが、自分の向上心を刺激するためにも「気になる人たちのBlogは、例えそれが単なる日常の戯言であってもチェックしよう」と思ったのだ。
得た情報を取捨選択する事はできても、得ていない情報から刺激を受けたり有用な何かを手に入れる事はできないし。
という訳でちょっと前からチェックしているdropdbさんのBlogなのだが、「今日は子育て脳 - $ dropdb 人生」というエントリーが気になった。というか、正確にはそこで引用(紹介)されていた「カリスマブランドも続々参入“父親目線の子供服”がすごい! - 日経トレンディネット」という内容に(悪い意味で)衝撃を受けると同時に考えさせられた。
要するに、父親に「これはいい」と思って購買してもらう事を念頭に置いた子供服が増えているのだとか。
まぁ
子供服を買うことが家族のコミュニケーションツールに
というのは分からなくもないのだが、それ以外にコミュニケーションツールはないのかととりあえず聞いておきたい。別に服でなくても、夕飯のメニューについての会話でも(もちろん母親が作るなら母親の参加が必須だが)、ゲームについての会話でもいいのではないかと。
「また1つ、子供との会話のチャンネルが増えますよ」という意図なら良いのだが、どうも「これまで会話がなかった父親も、これをきっかけに会話できますよ」というような意図を感じてしまう。そしてとても残念な事に、それ(父親と子供(特に娘)との会話がない)は確かに事実なのだ。
私は自他共に認める(と思う)「兼業主夫」なので、保育園への送り迎えやスーパーへの買い物、子供(主に息子・4歳)の遊び相手、子供の寝かしつけ(息子は隣りの布団、娘(1歳)は一緒の布団)等、ほとんどの家事をこなす。妻との分業なので「洗濯はしない」とか「週末は妻が食事を作る」とか「打合せや合唱団の練習があれば出かける」という意味で「専業主夫」ではないし、世の中の父親との比較ならともかく、妻の満足を得られているかというと実はかなり心もとない。
そんな私から見ると、世の中の父親は育児にあまりにタッチしないな、と思う事が多い。
特に保育園への送り迎え。基本的に保育園=共働きであるはずなのだが、父親が送り迎えする場面はなかなかない。また、父親が送り迎えする時はおたおたしている事がとても多い。「慣れていないからおたおたするのは当然」なのだが、保育士との会話を耳にするに「保育園について、普段は無関心なんだろうなぁ」と思う事も多い。
本来取るべきコミュニケーションを取らなかった父親が、ある意味乗せられて子供に服を買う(しかもそれなりに高い)というのは、同じ父親として何とも残念な気がするのだ。
それにしても
メンズノンノなどのファッション雑誌で育った父親たちが、子供との大切なコミュニケーションツールとして、また自分の個性を表現する対象として子供服に関心を持つようになってきた
という記述にはあきれるばかり。
「自分の個性を表現する対象として子供服に関心を持つ」って……。子供は親の自己表現の道具ではない、と自信を持って言える親はいったいどれくらいいるのだろうか。
「さりげなく子供とおそろいで着る」ことが彼らの欲求を満たす一番の楽しみであることも、昨今の父親心理として加えておきたい。
で、それを鵜呑みにして子供とおそろいの服を着たがる親が増える → 服が売れる という図式なんだろう。
子供と同じ服を着ることに、いったいどれだけの価値があるのだろう。表面を取り繕って他者に対してアピールしたところで、家族のつながりが強まる訳ではないのに。
本質を見ずに表面だけ読み取ってペアルックに走る親が増えない事を切に願う。
ちなみにこの記事に対するdropdbさんの反応はは、
え・・・なにこの世界・・・。小さい頃から巻髪にしちゃうとキューティクルが傷つくよ><
小さい頃からブーツ履いちゃうと水虫になっちゃうかもしれないよ><
化粧は肌に悪いよ、眉毛いじっちゃだめだよ><
という、私の感覚からすれば至極まっとうなものだった。
そうそう、子供は子供らしさが一番。
初トラックバックがこんな記事ですみません……(汗)>dropdb様
はじめまして!私の記事のほうは薄っぺらいのでトラックバックがとても嬉しかったです!実際にお子さんがいらっしゃるんですね、だから『子供は親の自己表現の道具ではない』って言葉にドキッとしました。引用文付でブックマークさせていただきます><
きゃー、ご本人様からコメントをいただけるとは恐縮の極みです。
これだけで色々な事を2ヶ月くらい頑張れそうです。ありがとうございます。