2006年6月アーカイブ

訃報

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 岩城宏之氏が亡くなったのは知っていたが、指揮者で東京芸術大学教授の佐藤功太郎氏が今月15日に亡くなっていた事を知った。
 はっきり言って音楽家としてどの程度の人なのかは全く知らないのだが、大学の時に東京芸術大学のオープンキャンパスで指揮法講座を受講した時に指導していたのが佐藤氏だった。

 もっとも、老後の趣味の一環でオープンキャンパスをあれこれ受けに来ているような人たちが大半だったため、実際に大学合唱団の指揮者として活動していた私にとって、講座の内容はほとんど参考にならなかったのだが。
 有意義だと感じたのは、東京芸術大学の学生で編成された室内管弦楽団を相手にアイネ・クライネ・ナハトムジークの第一楽章を指揮できた事くらいか。ちなみにコンサートマスターからは「マニアっぽい」「家でもぶつぶつ言いながら楽譜を読んでいそう」と評され、喜んで良いのか悲しんだ方が良いのか複雑な気分であった。

 金曜の夜はばたばたした結果、就寝は1時半頃。

 起床は8時。
 いつもの通り家族で朝食をとり、そそくさと身支度と荷物の準備。
 忘れやすいものは、

・ベルト
・ワイシャツ (スーツだけ持って行ってしまうパターン)
・靴 (足下うっかり)

あたりだという事は分かっていたので、その辺はぬかりなく。

 10時に車で出発。まずは家族で実家へ。
 昼食を食べさせてもらい、受付をするために妻が会場入りする17時に弁当を作って持ってきてもらうように頼む。
 バス+電車で会場入りするつもりが、父親が車で送ってくれるというのでお言葉に甘えてみる。途中、道が若干混んでいたりしたもののほぼ時間通りに到着。

 とにかく練習不足だったので、もう演奏会を迎えたのが不思議な気がする。発声は念入りに。調子は悪くない様子。

 自分が指揮者をしている女声ステージのリハーサルは、全曲をざーっと通すだけ。気になったポイントを2つほど指摘して、私にしては珍しく時間前に終了。

 16時過ぎに受付を頼んだ大学後輩+大学同期が現れる。受付の集合時間は17時なのだが……。しばし談笑して練習に戻る。

 17時前に妻と息子、付き添いの両親、そして受付を頼んだもう一人の大学後輩が到着。今回はフォイエルの現役に頼めなかったので、手当たり次第に声をかけてしまい、引き受けてくれた3人には本当に感謝感謝である。

 本番はいまいち「本番」という実感が薄かった。経験の為せる業で客席の観察はできたものの、やはり1年間の歌い込みが圧倒的に不足しているために、歌う事で精一杯だったように思う。
 1カ所だけ1小節早く入りかけた部分があった以外は、歌での目立ったミスはなし。

 女声ステージは、のっけから「指揮者の譜面台に置いておいて」と頼んだ楽譜が「ピアノの譜面台」に置いてあるというアクシデント。
 拍手の中でピアニストと共にお辞儀をして式台に上ったら、譜面台の上に何もない!
 その辺は場慣れしたもので、あわてず騒がずピアノの元へ楽譜を取りに行く。16歳での初舞台(高校合唱部の文化祭での発表)以来、各種演奏会・コンクール合わせて約15回の経験が生きた形である。
 とはいえ、アンケートで多数指摘されているに違いない。

 演奏そのものはいつもよりテンポが早かったという話だが(自覚なし)、とにかく「楽しく 楽しく」をイメージしていたのであまり失敗したという気はしない。
 1カ所、ピアノへの指示出しに失敗した部分があった以外は、特に大きな事故もなく無事終了。
 「楽譜がなかった」事件のおかげで無用の緊張をしなくて済んだのが良かったのかもしれない。
 とはいえ指示出し失敗は、微妙に震える手をうまく制御できなかった結果なのだが。

 たまたま客席で見ていた息子は、指揮者である私がステージ脇に引っ込んでしまうのを見て「お父さんが行っちゃう~」と大泣きだったそうな。
 それでいて控え室に連れてきてもらうと逃げてしまう天の邪鬼ぶり……。

 その後は打ち上げ。
 お手伝い3人とピアニストのそばに座ってまったり。途中でお手伝い2人が「そろそろ帰らないと」と言うので、挨拶させようか迷ったもののこっそり帰す。後で文句を言われたが、ま、そこは認識の差である。

 後半は高校の同期とまったり。お互いに今年度は出席率が低く、「少ない出席回数でしっかり歌えた」という個人的な達成感はあるものの、それ以上の喜びがいまいちわいてこなかった。

 そして11時頃お開きになったので、妻子が泊まっている実家へ。両親はチャングムの誓いを見ているというので、何とかそれが終わる前にたどり着く。(いや、鍵は持っていたが)

 そしてその後は父親と芋焼酎1杯だけ晩酌。
 合唱歴の長い父が「毎年聴きに行っているが、うまくなったなと感じた」と言ったのには私も同感。
 その上で、女声ステージまでホールで聞いていた感想として「女声ステージが一番うまいと感じた」と言ってもらえた事は素直にうれしかった。

 何だかんだで1時半就寝。
 8時前に起床して朝食をとり、浦安市政25周年記念パレードに息子の従姉が保育園行事の一環で参加するというので見物に出かける。パレードは近隣の中学のブラスバンドやらボーイスカウトの行進に交じって、何と「ディズニーリゾート」も参加!
 ディズニーのブラスバンド+ミッキー&ミニー&仲間たちの行進は間違いなく一番人気だっただけでなく、演奏技術や観客サービス(目配せや手を振る、等)でも他の団体とはレベルが違ってプロの力をまざまざと見せつけられた。

 昨日昼寝をしなかった息子は眠そうで、ずっと抱っこ or おんぶ or 肩車していたのでかなり体力を消耗。

 その後うどん屋で昼食をとったり、実家に戻って昼寝させたり、その間に実家で録画されていた指揮者 岩城宏之さんの追悼番組を見たり、帰宅途中にIKEAへ行く渋滞に巻き込まれたり、帰宅してから息子のために図書館へ行ったり、トイザラスへおむつを買いに行ったり。

 何ともハードな週末だった。おかげで今日はよく眠れそうだ。

 予想通りと言えば予想通り。日本中が興奮していたようにマスコミは騒いでいる(た)が、国民の大多数はそう思っているのではないだろうか。
 しかしそれでも「もしかしたら」という思いがあったのも事実。WBCの時もそうだったが、「日本代表」というものにこれだけ国民が期待を込められるのだから、わざわざ教育基本法改正で「我が国と郷土を愛する態度を養う」などという文言を入れる必要はないのではないだろうか。
 もちろん教えなければならない部分もあるだろう。しかし今のこの状況から教えられる面もある事を、政治家や文部科学省、教育委員会のお歴々にはしっかりと認識して欲しいと思う。

 日本代表は結果としては1勝もせずに予選敗退だが、どの試合も「もしかしたら」を思わせる展開があり、見る方としては見応えがあったのではないだろうか。むろん、立て続けにゴールを決められる様子に胸が痛んだ(あるいは怒りに震えた)人も多いだろうが。

 個人的には、2戦を終えた段階で予選突破は無理だと思った。しかしそれでも、「1-0でまさかの勝利」を期待したものである。それくらいが現実的だと思った。
 結果としては得点力不足と精神的な弱さによる(と私は思った)失点の多さで予選敗退だが、宿敵韓国は何度となくワールドカップに出場しながら、先の日韓共催大会まで1回も勝つ事が出来なかった。
 そう考えれば先の大会でのベスト16進出というのはむしろまぐれであって、今回の結果こそが今の日本代表の力なのだろう。

 中田英は言っていた。
 「フランス大会は訳も分からず、日韓大会はホームで、今回が初めてのワールドカップ」(意訳)
 そう、今回がいわゆるワールドカップできちんと戦った最初の大会だと思う。
 そして、日本が世界と戦える事も分かり、また世界とのレベルの差も実感した大会だったろう。
 そう考えれば、2010年の南アフリカ大会、そしてまだ開催地の決まっていない(南アメリカらしいが)2014年の大会に期待したいところである。

 しかし日本代表にとっては川口の好セーブが光った大会だったが、川口の後釜となれるゴールキーパーがいるのだろうか……。その他のポジションはそれなりにいるらしい印象があるのだが。

 という言葉があるらしい。朝日新聞14日の夕刊に載っていたのだとか。朝日新聞を購読しているのに気付かなかった……。

 詳しい説明は適当に探したBlogを見て頂くとして。

 個人的には「過剰な情報やイメージを消化しきれない」という言葉はちとしっくり来ない。どちらかというと、「メディアから供給される様々な情報やイメージのおかげで自分で考える事をやめてしまっている」と言う方が適切ではないだろうか。

 例えば何か事件が起こったとする。
 マスコミがこぞって取り上げる。ある事ない事言うだろう。問題の表面だけ取り上げて、根幹部分に全く触れていない事も多々あるだろう。
 けれど、マスコミは非常に上手なので見る側にそれを気付かせない。さもそれが全てであるかのように情報を提供する。見る側は「ああ、そうなんだ」と思って素直に受け止めて終わりである。

 本来ならば、マスコミの報道に対して「ん? 今のところはおかしくないか?」「問題の本質はそこではないのでは?」と疑問を抱くべき場面でも「ああ、そうなんだ」で終わってしまう。

 小説よりもマンガが好まれるのは、小説は想像力を必要とするからだろう。つまり、言い方を変えれば小説はマンガに比べて疲れる。想像力旺盛な人にとっては苦もない「想像」という作業が、慣れていない人にとっては苦痛なのだろう。
 日頃から運動している人にとって2km走るのは大したことではないが、運動していない人にとってはかなりの苦痛であるのと同じ。

 これは小説を読めば良いという話ではなく、子供時代に家庭でどのような教育をしているかにも関係してくると思う。
 よその子を叩いてしまった時に、「○○ちゃんも叩かれたら痛いでしょう?」と相手の気持ちを察するように教えられるかどうか。
 考える力にも関係すると思うし、それが出来る子は学校での成績にも直結すると思う。

 一番がっかりなのは、想像力が欠如していると、想像力が欠如しているという事が想像できない事である。
 若い人に多いように思われがちだが、個人的には団塊の世代からすでに想像力不足が蔓延しているように思われてならない。(先日の電車での話も然り)

 かねてから、駄目な子供が多いのは学校のせいではなくて駄目な親のせいだと思っている。
 駄目な親が何故駄目なのかを追求すれば、その親が悪かったという事だ。(もちろん例外も多々あるだろうが)

 若者が電車の中で化粧する事が問題なら、いい年した親父が電車の中で2人分の幅を取ってどっかと座っていたり、お酒と乾き物で一人晩酌をしているのは問題ではないのかと。

 若者のバックパックが問題なら、サラリーマンの肩掛けカバンは問題ではないのかと。(ちゃんと前に抱えろよ、と。個人的にはバックパックより迷惑度が高いと思う)

 若者が電車の床に座り込むのが問題なら、どうせ混雑しているから倒れる事はないと、満員電車の中でつり革や手すりにつかまる事もなく目を閉じているのは問題ではないのかと。

 もちろん、だから若者は悪くないと言うつもりはない。非難するべき点はたくさんある。しかしその原因を考えて直していかないことには、決して世の中は良くならないと思う。

 全国のチャイルドシートの使用率は49.4%

 こういう記事を見ると、全国の親の半数は本当には子供を愛していないんだなぁと思う。
 子供は(ある程度以上の年齢になると)チャイルドシートを嫌がるかもしれない。けれどそこで「子供の嫌がることをさせない」のが良い親だと勘違いしてはいけない。

・子供が嫌がってもやらせる
・子供が嫌がったらやらせない

 どちらの方が、将来的に子供の役に立つかが判断基準だ。
 チャイルドシートの場合、万が一事故に遭って子供が死亡した時に親は「あの子が自分からチャイルドシートを嫌がったのですから、死んだとしても本望でしょう」とでもコメントするのだろうか。
 愛があれば、子供が嫌がってもチャイルドシートを着用させるべきだし、当然のように着用させるはずだと思う。

 親の子育てには子供の将来がかかっているのだ。多少の失敗は糧となる事もあるだろう。全く失敗しない事は逆に不幸だ。けれど、チャイルドシート未使用は子供の未来を奪ってしまう。

 こういう親には、自分が「親」である事、自分の両肩に人間1人(もしくはそれ以上)の将来がかかっているという事を、もっときちんと自覚して欲しいと思う。

 前々から行こう行こうと言っていた友人と、千葉マリンスタジアムへ。
 都心の方から仕事帰りに来ると聞いていたので、勝手に19時頃だろうと思って息子を保育園に迎えに行ったり妻を職場へ迎えに行ったりしていたら、「18時20分頃海浜幕張駅へ着く予定」とのメールが。
 あわてて用意をして出発。海浜幕張駅到着は18時半。電車内ではZaurus君でスタメンを確認。マリーンズ先発成瀬。ベイスターズは那須野。いきなり1回に金城にホームランを打たれて0-1で負けている様子。

 改札前で友人と合流。駅前のチケット売り場で外野自由席1800円を購入。100円のマリンスタジアム行きバスに乗る。

 到着したのは2回裏の攻撃中。ちょうどベニーが四球で出塁したところ。席を探している間に里崎ヒットで1、3塁。サブローがダブルプレーの間に1点取って同点。

 4回にはエラー、四球、四球で満塁のチャンスを作ると、大塚がよく選んで押し出し四球。1点勝ち越し。
 続く青野は下積み時代が長かった6年目。ようやく1軍へ呼ばれるようになった苦労人が、ここで満塁ホームラン!
 なんとヒット2本で6得点というそつのなさ。

 私をマリーンズファンに引きずり込んだどろっぷ氏へ経過をメールすると「成瀬と青野がお立ち台だったら明日死んでもいい」との返信。

 その後、成瀬は1点を失ったものの2失点完投。里崎の2ランホームランもあって、試合は8-2と快勝。

 そしてお立ち台(ヒーローインタビュー)は「成瀬と青野
 どろっぷ氏には死んでもらおうか(にやり)

 昨年は見る試合見る試合負けていたのだが、今年は比較的勝率が高い。今シーズン公式戦初生観戦だったのだが、勝ってほっとした。

 この調子で交流戦も頑張って欲しいものである。

 体調不良 → 小康状態 → 体調不良を繰り返していた5月。
 6月に入ってもその余韻が残っていたものの、最近ようやく落ち着いてきた気がする。

 少し決意をして身辺整理をしてみたり、その結果として人に迷惑をかけてみたり、迷惑を迷惑と言わないその姿に感動してみたり、演奏会のお手伝いを探すために旧知の人々とコンタクトを取ってみたり、体調不良の間にうずたかく積み重なった仕事におののいてみたり、演奏会まで2週間なのに練習出席率5割以下がたたってろくに暗譜できていなかったり、そんな6月。

混声合唱団S.P.P. 第12回定期演奏会
2006年6月24日(土)
江東区文化センター
開場:18時
開演:18時半

 私、さりげなく指揮者。

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