先日、合唱団の人たちとスイーツ食べ放題へ行く。
食べ放題自体は1時間だったのだが、その後も場所を変えつつ3時間。何だかいろいろ語った気がする。
昔小説を書いていたけれど、今は書いていないということ。でもきっと、他のやりたいことが一段落したら小説に戻るだろうから、今はそのお休み期間であること。
他にやりたいことがたくさんあって、合唱の優先順位が下がっていること。でも昨年より(指揮者にもなったし)確実に優先度は上がっていること。
今はWeb関連が楽しくて、いろいろ知りたくて、いろいろ出来るようになりたくて、悩みながら、調べながら、いろいろな人に助言を仰ぎながら手探りで前進していること。
何だかんだ言って、私の人生はどこまで行っても
・小説
・合唱
・Web
の3本柱なのだと思う。
昨日今日と、NHK合唱コンクールをちょこちょこ見ていた。全部見ていられるほど暇でもないし、そもそも私は音楽にコンクールはなじまないと思っているので。
でもこういうのを見ると、自分も高校時代にコンクールに出ていたらどうだっただろう、と想像せずに入られない。
長編小説どころかシリーズ物で10冊も20冊も小説が書けそうなほど充実し、事件があり、克服し、喧嘩し、団結し、一喜一憂した高校合唱部だったが、コンクールには縁がなかった。出ようという話すらなかったように記憶している。そもそも10人強・先生の指導なしという条件では、出たところでどうという事もなかっただろうが。
でも。
コンクールには出た人にしか分からない良さがあるらしい。その良さを知らない、という事がちょっぴり寂しくもある。
ま、年に1回の演奏会を毎年毎年経験できるのだから、あまり贅沢なことは言ってはいけないと思う。それに、コンクールに出たらそれこそ柱を合唱1本に絞らないといけなくなるだろうし。
少し合唱に対する思い入れが強くなった。次回練習もがんばろうと思う。
単純すぎ?
以前、バイオリンを習っていた音楽教室でコンクールがあり、出ようかどうか迷ったことがありました。
結局、自分の実力と、練習時間を考えて出るのをやめましたが、コンクールに出れば、客観的に実力を評価される機会を持つことができたかと思うことがあります。
今は体調を崩してレッスンをお休みしているので、コンクール以前の状態ですが、やはりコンクールに出るからには、どんな評価でも悔いが残らないだけの練習時間が確保できるかが問題ですよね。
(もちろん演奏会に出るためにも悔いが残らない練習をしなければならないのですが)
「客観的に実力を評価される」とは言いつつ、結局は審査員の主観でしかないので、複数いるとはいえその人の主観に合う演奏が出来るかどうかで賞が決まるコンクールにはやはり疑問を感じます。
自分たちのレベルを実感したいのであれば、コンクールを目指すよりも他団の演奏会を数多く聞くほうが得るものが多い気がします。
私自身は大学時代に指揮者としてコンクールに出たことがありますが、コンクールに向けた練習は演奏会に向けた練習とは全く違ったものになり嫌というほど駄目を出さないといけなくなるので、練習していて楽しい面がほとんどありませんでした。
練習時間より、上記のようなものであってもなお出たいかどうかという団員の意識の統一の方が問題だと思います。
ひこさんはコンクール=合唱=団体演奏という視点で書いていたんですね。
私はコンクールというところに引っ張られてコメントしましたが、音楽教室でやっていたコンクールは個人部門でしたので、視点がずれてしまいましたね。失礼しました。
団体演奏でも個人演奏でも同じだと思います。
「発表会」なら別にいいと思うのですが、何故そこで審査されるのかなぁ、と。「発表会」で「講評」される事と、「コンクール」で「順位付け」されることはイコールではないと思うのです。前者についてとやかく言うつもりは全くありません(人の意見を聞くことも大切ですし)が、後者についてはどうしても疑問を感じずにはいられません。