2005年5月アーカイブ

 保育園の帰りに「さんぽ(となりのトトロ)」を歌い出す息子。家では1回も流していないから、きっと保育園で覚えたのだろう。
 音楽に対する感性はそれなりに高そうなので、できればこのまま成長して欲しいものである。

 マリーンズの里崎捕手のパフォーマンスはファンの間では有名だが、マリーンズの強さのおかげでついにそれがネットニュースに取り上げられた。(記事はこちら)
 残り84試合、しっかりと戦い抜いて欲しい。

 親になって考えることがある。自分の子供の成長と、それに伴う親の責任だ。
 私としては、子供のした事に対する責任は親にあると思う。もちろんそれは「必ず親が責任を取る。子供に責任はない」という訳ではないが、どんなことであっても親の責任はゼロではない、そう思うのだ。

 子供が何か悪いことをした時、多くの親は「うちの子に限って」と思うだろう。私もきっと思うに違いない。けれどそれは親の主観であって、「だから悪くない」という訳ではない。さらに言えば子供が何かをする、その事には親の教育(というかしつけ)が大きく影響する。「きちんと教えたのに子供がそれを守れなかった」、それは言い訳であり、子供が守れなかったということは教えていなかったと同義である。

 子供が保育園で怪我をする。転んで鼻の頭をすりむいたり、他の子と物を取り合ってひっかかれたり。保育士さんはその度に「すみませんでした」と、私からしてみれば過剰なまでに恐縮して誤る。おそらく「うちの子が怪我をしていた!」と文句を言う親がいるのだろう。
 けれど私から言わせれば、病院に行くような怪我でなければいちいち報告しなくてもいいし、そういう怪我を通じて「こういう事をすると(されると)痛い」という事を学んでくれればそれでいいのだ。
 自分の子供を大切にするのは必要だが、その結果として「失敗」から遠ざけてしまっては、将来いざという局面でかえって大きな失敗をしてしまうことにもなりかねない。

 そして親の責任は成人やあるいは結婚を経ても変わらず存在すると思う。親が80歳、子供が50歳としよう。子供が犯罪を犯したら、いい大人なのだから子供が責任を取るのは当然のことだ。しかし「50にもなって犯罪を犯す」ということは、どこかで子育てを間違えたのではないだろうか。大人になってから悪い影響を周囲から受けたという見方もあるが、周囲の悪い影響を受け入れないような人間に育てられなかった責任があるのではないだろうか。
 そう考えれば親になるという事は並大抵のことではないように思えるが、要は人間が人間らしく子育てをすればいいだけのことである。何千年もやってきた事なのだから。

 余談だが、自分の子供の見本になるような親にならなければ思うと、電車等公共の場所での大人(40~50代が顕著)のマナーの悪さには目を覆うばかりである。最近の若い者は、と何かにつけて大人は言うが、要するに若い者は大人のやることを見ているだけの事である。
 電車に限って言えば、手すりつり革につかまらないで目を閉じる、つめればもう1人座れるのにどっかと腰をおろしてそれっきり、優先席に座ってメール、席に座って隣にもたれかかっての爆睡、夜の電車での缶ビール、等々。
 子供の未来、そして日本の未来のために、何とかして欲しいところである。

 最近、小さいながら人を束ねる場面があって考えた。

 自分は物事を複数人数で行う場合に、まず組織作りをする。それはたとえよく知った仲であったとしてもである。
 組織が有機的に動けるかどうかは、連絡が行き届くか、連絡を受けてすぐに動けるか、が重要になる。人間関係に頼っていると、連絡したしない、やると思った、という思い込みでうまく回らないことが多い。特に見知った仲であるほどその傾向は顕著だ。

 となれば、まずは連絡系統を確率しなければならない。いつでも連絡を受けられるとは限らない社会人ならば、メールを主にした方がうまくいくだろう。「後で電話しよう」と思っていて電話し忘れることが避けられるからだ。もちろん込み入った話は電話でするのが一番だが、それはむしろ補助である。

 次に、「決まったこと」はもちろん、「今後行うこと」「検討すべきこと」を、しっかり共有しておく事が必要だ。単なる垂れ流しは良くないが、適当な時点(週1回、など)でまとめておけば全員の進む方向に対する意識を統一できる。そして定期的に洗い出すことで、漏れを防ぎ課題をつぶすことができる。この時、前回出した情報も含めた形で出さないと、結局漏れの原因になるので、「現時点での一覧」であることが重要だろう。

 後は必要に応じて、面倒くさがらずにやり取りをすること。Aさんとの間で話が進んだ時に、それを他の人へ流して情報を共有することを忘れずに。やり取りをできる頻度は人によって違うから、それによって情報貧乏な人が出てくると、離脱されたり、そうでなくても不満が溜まってしまう。

 最後に、重要なのは長の一番の仕事は取りまとめだということ。組織全体の風通しを良くして情報を共有し、メンバーの意見をしっかり受け止め(何でも言える環境作りも必要)、時にはメンバーに「最終的にこれでいく!」と断言しなければならない。
 逆に言えば、仕事量の問題さえなければ長が実務を行う必要はほとんどないと思う。メンバーが頑張っていて「よっしゃここはひとつ私がそれをやるよ!」というのは大いに結構だが、それは上記役割を果たした上での話。メンバーも作業量が多くて手におえない時はともかく、そうでない時に長に対して実務をこなすことを求めるのは良くないと思う。
 このあたりが、同年代、上下関係のない人の集まりが難しい所以。遠慮して長になりきれない、あるいは長に対して反発が出てしまう事が多いように思う。仲の良さを維持しつつ、なおかつ組織を組織的に動かすのはなかなか大変だ。(この点、大学サークルの同期会は執行学年時の役職による擬似ピラミッドがあるから実に楽だ)

 本当は物事を行う際、行ける所までは組織作りなどせずに情熱のおもむくままに突っ走るのがいいのかもしれない。組織作りをしようとするとどうしても情熱が冷めてしまい、組織ができた頃には行きたい方向がないとなってしまっては本末転倒だからだ。
 それでも、ある短期目標に向かうのではなく組織を長期的に維持しようと思うならば、まず組織作りを行ってしっかりとした基盤を作るべきだと私は思う。組織作りで情熱が冷めるようでは、そもそも長期的に活動するのはほとんど不可能だと思うので。

 先週末は大学サークルの同期の結婚式。結婚相手が同じサークルの後輩ということで、出席者の3分の1はサークル関係者である。新郎が超絶かっこいい(サークル時代は「ホスト」と呼ばれ、現在職場では「プリンス」と呼ばれているらしい)のに加え、新婦は入団当時並み居るフリーの上級生のほとんどから狙われていたというかわいらしさ。ここまで絵になる新郎新婦もなかなかいないだろうと、思わずため息をつきたくなった。
 人前式も手作り感があふれていて、特に二人で起草したという結婚宣言書に列席者全員が署名するという趣向が良かった。緊張のあまり新郎が新郎用の指輪を新婦にはめるというアクシデントはあったけれど(苦笑)
 そして二次会は自分が幹事ということで始まるまでひたすら緊張。心配性なので、忘れ物はないか、チェックに漏れはないか、気になって仕方がない。実際いくつかミスはあったけれど、いずれも列席者にとっては知らなければ気が付かないものだったのが救いだった。
 新郎新婦に内緒の企画が喜んでもらえたようだし、グループ対抗クイズもそれなりに盛り上がったようで幹事としてはほっと一息。
 これからも仲良くお幸せに。

 会場の人に「本職の司会者かと思いました」と絶賛されたが、自分としては話しすぎを反省……。

 カタワレと共に、東都大学野球の2部の試合を神宮第二球場で観戦。母校國學院大學は今日勝てば1部昇格らしい。(通常なら入れ替え戦があるのだが、今年は亜大が不祥事で参加していないために2部優勝即昇格)
 プロ野球以外の野球を観戦するのは初めてだったが、とりあえず「応援団」(プロ野球にもあるようなものではなく、学ランを着た人たちの)がすごい。熱い。が、野球の応援として適切かというと疑問。応援している自分たちに感動したいような印象を受けた。
 そして観客の質が低い。特に母校。野球のことを良く分かっていないヤジが多いのが気になった。
 試合は2回に2本のホームランで2点を先行した東農大の左腕柄澤が実にすばらしい投球で、母校は9回にホームランで1点を返すのがやっと。内角のきわどいコースに決まるカーブが実に効果的だった。

 そして試合終了後すぐに次の試合の準備が始まり、立正大と拓殖大の選手が練習を始める。何気なく見ていると、立正大にアンダースロー発見。母校にもアンダースローがいたので、最近はアンダースローがはやりなのか? と思ってぼんやり眺める。
 しばらくして、ふと気づく。

 左投げ!

 野球界に左投げのアンダースローはほとんどいない。左というだけで1つ武器になるのに、わざわざアンダースローにする必要が低いからだと思われる。どろっぷ氏と共に今注目の最強!都立あおい坂高校野球部には、その左のアンダースローが出てくるのだが、まさか現実にいるとは思わなかった。
 立正大の背番号14。ネットで検索しても名前が分からないが、今後に期待である。

 そしてその足で母校の研究室へ。懐かしき方々と再会し、大学時代を思い出しつつ談笑。
 するとWebサイト制作の話が出て、いきなり仕事モード突入。遊びに行ったつもりが、思いがけず営業になった。今後に期待である。

 交流戦初戦を逆転サヨナラ負けで落とし、快進撃もここまでかと思われたマリーンズ。しかし3連戦を終わってみれば2勝1敗と勝ち越してほっと一息。未だに負け越したカードは1つしかない好調ぶりである。
 今日はマリンスタジアムにセリーグでもっとも応援が激しいタイガースを迎えての初戦。NHK-BSで放送されていたので、7時のニュース終了後に観戦する。
 ひやひやの展開もバックの攻守にも助けられ(特に大塚!)、回は9回、得点は3-0でマリーンズリード。こうなるとコバマサの出番である。
 ところがコバマサ劇場の異名を取る小林雅英はノーアウト1、2塁のピンチを招く。すわ、今夜も劇場か。2点までは許すから3点以上はやめてくれ、と思ったその時。テレビはNHK総合へと切り替わった。
 原因はプロジェクトXを録画予約していた事。今日は合唱部が舞台だったので、息子を寝かしつけている可能性を考慮してわざわざ録画予約をしていたのだが、我が家のテレビはBSが見られないのでBSを見るにはビデオを通さなければならない。が、ビデオはNHK総合を録画しようとチャンネルを自動的に切り替え、マリーンズはプロジェクトXに敗れたのである……。
 ま、結局コバマサがその後をきっちり抑えて勝ったので良しとしよう。

 今朝のNHKのニュースによれば、1~3歳児を対象とした親子英会話が人気だという。子供だけでなく親も学べるのが受けているのだとか。
 そのうちの1人の母親が「子供が自然に英語で「お腹がすいた」と言って、私も英語で返したりしている」とうれしそうに話していたのだが、これを見て私は一抹の不安を感じた。
 この子供は、自分が英語を話しているのか日本語を話しているのか、という区別がついているのだろうか。英語と日本語をごちゃ混ぜに教えると、本人は自覚なく英語で話したり日本語で話したりするらしい。そうすると正しく英語で話すのも難しいし、正しく日本語で話すのも難しい、という事にならないだろうか。外では日本語、家の中では英語、という切り分けをきちんとしなければならない、という話を聞いた事がある。
 確かに言語は早く始めたほうが身につくだろう。しかしそれは母国語をきちんと習得できるという前提での話。日本語をきちんと話せるように育てる自信が親にないのなら、ちょっと英語を話せるようになったからと一喜一憂するべきではないと思う。
 そして、外国語を話せるようになって欲しいと思う親が多い一方で、あたりまえのように話している母国語である日本語に対する意識が低すぎる親が圧倒的に多い、と思う今日この頃である。

 やりたいことが多すぎて手が回らないので、自分にとっての必要度が低いものは切っていかなければと思う今日この頃。
 しかししがらみもあってなかなかそうもいかない。要するに自分は未練がましい人間なのである。それで特をしたこともあるのだが。

 減らそうと思っているさなか、父と義兄に誘われてゴルフの打ちっ放しへ。小学校6年生頃までは、父の打ちっ放しでの練習に着いて行くとジュースが買ってもらえる(我が家でジュースが飲めるのは基本的に祝い事のみだった)ので、良く同行して打たせてもらったりしていたのだが、それからかれこれ15年ぶりである。
 父曰く、右や左に飛んでいくのはともかく、普通初心者はカーブする軌道なのにまっすぐ飛んでいるのはたいしたものだ、との事。飛距離もまあまあで、義兄も「僕が始めた時と雲泥の差だ……」とうなっていた。
 少し気をよくしたのだが、もしかしたら今後もゴルフをやらせようという魂胆なのかもしれない。難しいが、なかなかに奥が深く面白いと思った。が、やることがまた増えてしまって困っているところである。

 そしてPHPやMySQL、あるいはPostgreSQLにも惹かれる……。こちらはむしろ仕事上の問題なのだが。

 ぐったり。
 まぁ、自分に関係ないと言えば関係ないのだが。

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