象徴的貧困

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 という言葉があるらしい。朝日新聞14日の夕刊に載っていたのだとか。朝日新聞を購読しているのに気付かなかった……。

 詳しい説明は適当に探したBlogを見て頂くとして。

 個人的には「過剰な情報やイメージを消化しきれない」という言葉はちとしっくり来ない。どちらかというと、「メディアから供給される様々な情報やイメージのおかげで自分で考える事をやめてしまっている」と言う方が適切ではないだろうか。

 例えば何か事件が起こったとする。
 マスコミがこぞって取り上げる。ある事ない事言うだろう。問題の表面だけ取り上げて、根幹部分に全く触れていない事も多々あるだろう。
 けれど、マスコミは非常に上手なので見る側にそれを気付かせない。さもそれが全てであるかのように情報を提供する。見る側は「ああ、そうなんだ」と思って素直に受け止めて終わりである。

 本来ならば、マスコミの報道に対して「ん? 今のところはおかしくないか?」「問題の本質はそこではないのでは?」と疑問を抱くべき場面でも「ああ、そうなんだ」で終わってしまう。

 小説よりもマンガが好まれるのは、小説は想像力を必要とするからだろう。つまり、言い方を変えれば小説はマンガに比べて疲れる。想像力旺盛な人にとっては苦もない「想像」という作業が、慣れていない人にとっては苦痛なのだろう。
 日頃から運動している人にとって2km走るのは大したことではないが、運動していない人にとってはかなりの苦痛であるのと同じ。

 これは小説を読めば良いという話ではなく、子供時代に家庭でどのような教育をしているかにも関係してくると思う。
 よその子を叩いてしまった時に、「○○ちゃんも叩かれたら痛いでしょう?」と相手の気持ちを察するように教えられるかどうか。
 考える力にも関係すると思うし、それが出来る子は学校での成績にも直結すると思う。

 一番がっかりなのは、想像力が欠如していると、想像力が欠如しているという事が想像できない事である。
 若い人に多いように思われがちだが、個人的には団塊の世代からすでに想像力不足が蔓延しているように思われてならない。(先日の電車での話も然り)

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