中国文学科卒として、一言申し上げずにはいられない。
第9回 「我が社の社員に経営者感覚がない」のは当然だ:日経ビジネスオンライン
仕事で経営者に会うと、「うちの社員には経営者感覚がない」「会社の状況が分かっていない」というため息を聞くことが少なくない。そんな時、私は「社員の皆さんが経営情報に触れられる機会はどれくらいあるのですか」と質問を返す。
ふむふむ、という出だし。
しかし次の段落で、もうこの記事を読む気をなくしてしまった。
世の中にはまだまだ「社員は由(よ)らしむべし、知らしむべからず」という会社が多いと感じる。説明するまでもないかもしれないが、これは中国の論語にある孔子の言葉を引用したもので、もともとの意味は『大辞泉』(小学館)によると、「為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民に分からせる必要はない」というものだ。
おいおい、孔子様がそんなひどい事言う訳ないだろうが。
「説明するまでもないかもしれないが」と言いながら、どこをどう誤読するとそういう事になるのか。意味が分からない。
ちなみにGoogleで検索した結果をいくつか見てみた。
〔通釈〕 孔子云う、「人民を政道に従わせることはできるが、一人一人にその内容を理解させることは難しい」と。
〔補説〕 論語(泰伯) 人民は為政者の定めた方針に従わせることはできるが、人民すべてになぜこのように定められたかという理由を知らせることは難しい、という意。
ところが、
《「論語」泰伯から》人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい。転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない。
な、なんだってー!
その後あれこれ調べてみると、
- どうも徳川家康が引用したっぽい
- 日本では為政者に都合の良い解釈がされたっぽい
- 日本では為政者に都合の良い解釈が定着した(現在進行形?)っぽい
事が分かった。
何と言うかこう、「前後を読まないにも程がある」という印象。
「先憂後楽」も「嫌な事は先にやってしまおう」みたいな意味がまかり通っていて、本来の意味(Yahoo辞書(大辞泉))が好きな私としては「好きな言葉は"先憂後楽"です」とは口にしたくないと思ってしまう。
最近経営者層を中心に論語がブームのようで、中国文学に親しんだものとしては喜ばしい反面、こういう「ある一部分を切り取って都合よく解釈する」事で「論語を知っている」と自称するのはやめて欲しいと強く思う。
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